体験談(保護者)
聞こえの課題に気づき葛藤しながらも、学校や地域と協力し娘の挑戦を支え、今は娘の成長を見守っています。
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- N.K さん
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難聴の種類: 感音性難聴
お子さまのプロフィール・発見の経緯
松山市出身です。
両側感音性難聴で補聴器をつけている娘が21歳になりました。子育ての中で苦労したこと、悩んだこと、嬉しかったことなどをお伝えしたいと思います。
療育や教育における工夫・困難だったこと
長男4歳、長女3歳、次女0歳で私が次女の育児休暇中の時、長女が3歳になっても言葉がはっきり出ず、病院で検査をしたところ両側感音性難聴と診断されました。
名前を呼んでも振り向く事が少なく、同じことを何度も何度も何度も大きな声で言わないとできなかったのは聞こえていなかったからなのかとやっとわかって納得できました。
当時の私は子どもの難聴への知識も乏しく、娘はこの先どうなるんだろうという不安と、今まで気づいてあげられなくて、怒ってばかりだった自分を責め、精神的にもかなり不安定になりました。
視聴覚福祉センターでは娘の訓練ばかりでなく私の心のケアもしていただきました。
グループ訓練をきっかけに悩み、不安を打ち明け、みんな同じように抱いているんだと一人ではないという安心感、誰かに話し聞いてもらう環境の大切さを感じました。
娘の進路を一年早く考えることで余裕をもって進路先の情報収集ができ、選択肢が広がり、話し合って決めることができました。
地域の幼稚園に通っていましたが、年長の一年間は聾学校の幼稚部へ入学しました。
地域の小学校中学校では難聴特別支援学級を設置していただきました。
交流クラスの保護者には毎年娘の聞こえについて説明し続けました。人前に立つことは勇気が必要ですが、隠さずオープンにすることで、難聴、補聴器をつけていることも個性の一つと認識していただけるようになり、子ども達も自然にコミュニケーションをとってくれるようになっていました。
何か得意なことを見つけてほしいと、習い事やスポーツにも挑戦しました。今でも続けているのはバレーボールです。愛媛国体の開催がきっかけでデフバレーボールを知り、部活動との両立が始まりました。
様々な人とのご縁で日本代表チームへのチャレンジをすることができ、デフリンピックへの出場もできました。東京大会での娘の笑顔が今までの苦労も全部吹き飛ばしてくれました。
保護者へのアドバイス・メッセージ
今までは娘の先に立ち道を切り開いてきましたが、自信を持った娘の姿を見て、誇らしく、ようやく一つ役目を終えた気がしています。
これからどのような人生を歩むのか楽しみでもあり、不安は尽きませんが、いつでも娘の味方であることはかわりません。
人とのご縁を大切に感謝の気持ちを持ち続けて娘の笑顔を見守っていきたいと思います。