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体験談(当事者)

先天性難聴と向き合いバレーで成長し、デフリンピック等を経験し障がいを個性として前向きに生きています。

栗林愛美 さん

難聴の種類: 先天性感音性難聴

プロフィール・背景

栗林愛美です。松山東雲女子大学3年生です。私は両耳先天性感音性難聴があります。
小学校4年生からバレーボールを始めました。中学2年生のときに初めて全日本代表合宿に参加しましたが、途中でメンバーから外れ、悔しい思いを経験しました。その後も挑戦を続け、高校2年生のときに再び全日本代表合宿に声をかけていただきました。
高校3年生では、ブラジルで開催されたデフリンピックに初出場しました。そして大学3年生では東京デフリンピックに出場し、金メダルを獲得することができました。
競技を通して、多くの挑戦と成長の機会をいただいています。

インタビューエピソード

私は小学校6年間、授業のほとんどに手話通訳の先生がついてくださる環境で学びました。しかし、幼稚園で簡単な手話を覚えた程度で、一般的な手話は分からず、戸惑うことも多くありました。週に1、2回は特別支援学級で発声練習も行っていました。小学四年生でバレーボールに出会い、生活は大きく変わりました。同じ頃から補聴器について「それなに?」「なんでつけているの?」と聞かれることが増え、次第に耳を隠すようになりました。

中学校では英語や数学を個別で学びましたが、本当はみんなと一緒に授業を受けたいという思いが強くありました。高校では支援を受けずに進学しました。クラスは少人数でしたが、スポーツをしている生徒が多く、声も大きく、コロナ禍でマスク着用もあり、低い声は特に聞き取りづらい状況でした。部活動では隣でバスケットボール部が練習しており、指示が聞き取れず何度も聞き返すことがありました。そのたびに練習が止まってしまうことが申し訳なく、悩むこともありました。

大学では少人数かつマイク使用の授業が多く、聞き取りやすい環境で学ぶことができています。社会生活の中で、自分としっかり向き合えたのは20代になってからです。デフバレーボールに出会い、同じ聴覚障がいの仲間と出会ったことで、障がいをマイナスではなく自分の個性として前向きに捉えられるようになりました。

同じ悩みを持つ方へのメッセージ

難聴と向き合うには時間がかかりますが、自分のペースで向き合うことで、物事の見え方は大きく変わると感じています。

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